アートってよくわからないですね
沼津の某スケボーショップにいって個展を、、、たぶんああいったのは初めてですね。
観させて頂きました😃
なかなか面白く、人間の内面や、奇抜な発想、みればみるほど色々な発見があり
この絵はどういう気持ちで描いているのかとか想いながら観るとまた違った色に変わるような気がして面白かったです
で、
すぐ影響うけるから
書いてみました(笑)
なんかこんな感じ?(笑)
とりあえずインスタとかに載せると頭いかれたと思われるから
で、いいのかな?
じぶんでもよくわからない(笑)
付き合うって 結婚て 子供って
いま、彼女はいません
付き合っていたことはあります。
全く違う価値観の人間と二人きりで、死ぬまで一緒にいる
それが愛?
それの結晶が子供?
皆さんの中で24時間一緒にいたいと思う人は居ますか?
わたしの価値観ではまだ見出だせていないものがあります。
泥沼関係だったり、離婚したり、育児に疲れたり、浮気したり、されたり、最近のニュースでは望まれずに生まれてくる子供
望んでも望んでも、生まれてこない子供
世の中色々です、、、ほんとに
自分は昔、年長ぐらいの時に肝臓に病気を患い1年近く入院していた時期があります。
退院してからはすぐ卒園式でなにも覚えてません。
むしろ病院生活の方が楽しかった思い出があります。
凄く仲良くなった子が居ました。
とても元気な子供で、気も合い、頭も良く自分の知らない世界を知っていました。
凄く活発な子だったので男だとおもって接してましたが
実は女の子だったと衝撃を受けました(笑)
その子は癌でした。
いつも顔に包帯を巻いていたので不思議に思っていました。
いつだかふと
気になる?
と聞かれ
気になると答えたら包帯を取ってくれました。
頬から顎にかけて大きな包帯です。特別に見せてあげるって言ってきたんです。先生には誰にもみせるなって言われてたみたいですが(笑)
あっここからはちょい痛痛しい内容になるので苦手な方はトレラン通信だけ見てください(笑)
そこには頬の肉が完全に無くなり、えぐられたように筋肉や多分歯?のような骨の部分まで見えてた記憶があります。
頭にも包帯を巻いていましたが、そこは触れませんでした。
その時、僕はあぁ大変な病気なんだなーぐらいしか思ってなく、むしろ見れたことに感激してたような気がします(笑)
その子とは毎日会って、朝5時からやっている聖闘士星矢のテレビを観るのに病院の休憩室に忍び込みコッソリみていました。
確か、病院の看護婦さんに見つかって怒られました(笑)
それを見かねた母が抗議して、なんと特別でポータブルテレビを持ち込みOKにした伝説を残していたそうです(笑)
そのお陰で毎日テレビが病室でみれるようになりました。
その子はいつも自分を起こしにきて、テレビ見よう!って誘ってくるけど、体調が悪くて全然起きないときもありました。
癌のせいだったんだと20年以上経ってわかりました、、、
母の話によるとその子は自分より歳上で、大人顔負けの知識と会話のやりとりがとても達者でビックリしたと言っていました。
性格も良く、病気なのかわからないぐらい明るく振る舞っていたそうです。
しかし、自分が退院する前に別の病室に移っていった記憶があります。
自分はそのとき知りませんでしたが、別れの時が近づいていたそうでした。
気にはしてませんでしたが、母が相手のお母さんと話していたそうです、その子は病院はあまり好きではないみたいでした。何度か入退院を繰返し、もうこれが最後だからって入院したのが今回らしかったのです。
そこでこういっていました。
今回の入院はとても楽しかった
と満足気に話していたそうです。
最後に友達と楽しく遊べてとても喜んでいました、本当にありがとうございました。
と、相手のお母さんから母へ感謝の気持ちが贈られていました。
それを聞いて自分は涙しまた。
とても嬉しかったです。
これだけ生きているとたまに死にたいとか思うこともありました。
でも、たった10年あまりで才能も頭脳も性格も、生きていれば素晴らしい人生を送れたはずの人間が病気というもにはばかれて死んでしまう。
自分のこの生活はどうだろうか?
死のうなんて思うこと事態、失礼な事ではないのか?
この子が守護霊として、守ってくれてたら怒っているんじゃないか?
わたしの分まで人生を楽しめと叱られるだろう。
どうして、この子は死んでしまって、
どうして、自分みたいな人間が生きてしまっているのか。
たまにふけることがあります。
毎日、世話をしてもらった看護婦、命を救ってくれた先生。
そして、忙しくお金もないのに毎日見舞いにきてくれた母親。
3人兄弟だからすぐに帰らないといけないのに、面会ギリギリまで居てくれる母親。
仕事終わりだから、疲れていつも自分のベットで寝ていたね。
お金もないのに毎日プラモデルを買ってきてくれて飽きさせないようにしてくれたね。たしか100体ぐらいになっていた気がする。
お見舞いにきてくれた保育園の先生。
沢山の愛が、支えてくれた人生を
何かの役に立てたいと思うことがあります。
子供は、愛がないと育たない。
子供が生まれてよかったと思えるような環境にしておきたい。
もしかしたら、いまの世界、子供を生むことが辛く厳しい道のりであれば
むしろ子供をつくらないことの方がいいのかと思う。
しかし、子供は親をみて育ち
親は子供をみて学ぶことがある。
そこには親子という絆や愛が生まれる。
それも1つの幸せだとおもう。
子供には不自由はさせたくない。
やりたいことがあるのならばやらせてあげたい。
首輪は外して、自由になってもらいたい。
その為にお金と道具が必要であれば他人の子供でも優先してあげたい。
世界は大人を中心に回すのではなく
子供を中心にみてあげれる世界を作るべきなんではないかと思う。
もちろん、大人も子供同様に楽しむべきであるだろうし共有して楽しむ方法があればベストなのかなと思う。
人それぞれ価値観は違うが、人それぞれに見えない愛が支えになっていることを忘れてはならないとおもう。
人々との出会いに感謝して、子供達に
夢と
希望を
トレラン通信 第4弾
さてさて、4弾まできました!
今回はいつものホームコース伊豆の国市にある城山!地名は大仁です
あの長嶋茂雄も汗を流したとされたとかされなかったとか
ルート案内ですが、ざっくり
城山から葛城山、発端丈山と連なっております。
最初の分岐で約15分
沼津アルプスをやってから来るとめちゃくちゃ走りやすい道です!
初級ですね!凄く楽しい(笑)
地蔵さまがいるのでいつもここで祈りを捧げます
こっからホンとに楽で楽しいコースが続きます
ここまで25?30分ぐらいで来れました…たぶん(笑)
あとは発端丈山で頂上目指します
ここぐらいですねキツいところは
頂上です。携帯ではここまでで36分でした
過去最速!嬉しかったぁ
から調子にのって淡島まで降りたのが惨劇の始まり…
ひたすら下ります
途中淡島みえます!
今回はみなみあるぷす?
も雪が掛かってました
淡島でーす
一時間ですね、昔は発端丈山の頂上で一時間掛かってたのが嘘のようです( ;∀;)
絵描きのおじいさんが二人もいました
ここまでドリンク250ミリリットルのみ
さて、帰りましょう!
帰りは急勾配です!
それでも全然走りやすいーー
そして、過去最速タイム出たので感動です
が
膝に水が溜まりました
完全にオーバーワークです
代償はでかかった…(笑)
トレラン通信 第3弾
久々の投稿、今回向かったのは沼津の山
沼津アルプス
へ、登りました!!
まずは函南町 日守山からスタートです!
ここは小学生でも登れる小さい山です😃
てっぺんには展望台がありまーす
貴方のお宅も丸見え
結構キツイですね、勾配も中々あって筋肉も喜んでます!
これ途中のルートなんですが、、トレイルってより山岳部隊が行くようなイメージなとこですね。
なかなかデンジャーでした!
このはしごはなかなか怖かったです😃
普通に登山来た人は制覇できるのかな?
途中いい景色‼
奥にあるちっこいのからスタートしたんですねぇ
鷲頭山です。ここまで結構急勾配で、、てか基本的に全部急😅
途中中将さんという切腹場所があります。
トレイルの醍醐味ってこういった歴史も加味しながら走れるとこですよね😃
そして、この辺で親指に異変が…
実は靴下の親指が破けてました
そして
足の指をきゅっと絞められて内出血でしたぁ(*_*;
だから痛かったのか…
香貫山の一歩手前横山でギブアップ…
そこから往復開始です!
おばちゃん軍団に凄いねぇーと応援され一気にスパートかけます!
ここが横山を降りて来たところです。
休憩と補充をします。
先ほどのおばちゃん軍団にまた挨拶をして戻ります
ちょうどここで10キロ
おニューの靴です😃
岡本製甲さんの足袋タイプのランニングシューズです
ドラマ陸王のスポンサーさんです
インスタで知りました(笑)買いました(笑)
不思議な岩です
やっと戻ってこれました…しかし、水が無くなりました
足も動かないからほんとに泣きそうでした
4時間で戻ってこようなんて甘かった…
今回の反省点は、、、逆から攻めないとキツイってことがわかりました(笑)
これはマジできつかった…
いつかリベンジします😵
トレラン通信 第2弾 後編
トレラン通信(後編)
さてさて、そこから寄り道
くそ長い階段があって試しにダッシュ!
映画、ピンポンの階段ダッシュを思い出しますね
汚れを清めるところに金魚が!?
伊東にはいいところがたくさんありますね(^^)
癒されます
のこり車道の300メートルぐらいを登ります!
踏み切りにふみきり(笑)
面白いので1枚
川沿いに登ってゴールです!
結果として、迷子!!そして整備!!そしてずっと登り!!
キツイ!じいさんばあさんの健康回復にして
30のおっさんでもこんな大変なのに…
いままでで一番悪いコースって感じです( ;∀;)きつかったわー
そして、、
これこれ!川奈の伊豆万さんのお蕎麦!
特にってお店なんですが雰囲気とおじいちゃんおばあちゃんの対応が好き
大室御膳で天丼と盛りそば1130円。
こういう昔ながらのお店ってすくなくなるんだろーなぁ
寂しい気持ちと満腹感で充実した1日でした\(^o^)/
トレラン通信 第2弾 前編
さて、今日は伊東の大平の森へきましたー!(前編)
途中バックアップが消えて書き直してるのでたんぱくに書きます(笑)
丸山公園というところからスタートです
駐車場はこちら
トイレもあって親切です
さて!
スタートします!
癒しポイントもあります
そこからひたすら登ります
…まだ登ります
まだまだ登ります
えっ?ゆったり?いやいや、全然ゆったりできないぐらいキツイぞ!?
えっ?健康回復の公園?
じいさんばあさんはここを歩いとるんじゃよ?
まじすか?くそキツイぞ!
かなり高いところになりました
やっと山頂、ハァハァ
展望ゾーンでは富士山が見れます
きました!ロープゾーン!
斜度は30から40度
え?
落ちて死んでないか?
大丈夫ですね、ふぅー
ここで約半分ぐらいでしょうか?
すすきを抜けて馬場平を目指しますっ
途中観音地蔵があります!
このかたは現代のアンパンマンですね
自己犠牲を糧とし、誰かのために行動できた、素晴らしい人。
いい人間が讃えられる素晴らしい見本だと思います。
この世のなかは間違っている!
感動したので、なけなしのポカリを供えました
それでは先へ進みましょう
最高の休憩ゾーン発見!
いい景色で、伊東の街が一望できます
腹ごしらえして草原ゾーンへ出発
えっ?背丈程のすすきが行く手を…
道順もないし、じいさんばあさん何人か死んでないか?
伊東市さん!整備と道順をもっと作るべき!
これはキツイぜぇ
迷子の放送あったら絶対ここでしょ(笑)
やっと、街が見えてきました
ここからはロードです
道に迷いおばちゃんに道を訪ねてやっとラストスパート
つづく
自己破産
訳あって実家が自己破産しました。
家も無くなり、お祖母さんが大事にしていた土地もなくなり、皆の想い出も無くなり。
すべてが無に還る。
がらんとした部屋、本当に住んでいたのか?と思うぐらい。
昔、小学校の時に母と父は離婚しました。
すぐに怒る父。ハサミを投げられ、危うく足に刺さるような場面もありました。
何発殴られたかもわかりません。
その為か、父は金正日みたいな存在でした。(比喩表現です)
絶対的な恐怖があります。
連絡帳を忘れ、夜中の9時に独りで小学校へ取りに行かされたこともありました。
もちろん、怖くて学校前まで歩いて行きましたが、それ以上進めず泣いて帰りました。
そんなある日、冬休みの宿題で書き初めをしていました。
実は、習字を習っていたのですが先生から才能があるから続けさせてくださいね!と
言われていたらしいです。大人になってから知りました(笑)
習字は好きでした。
ある日、うまく書けないので悩んでいると父が手本を見せる!といって筆を奪い、途中まで書いてるところから書き始めたのです!
子供ながら泣きました!せっかくここまで書いて親父に奪われるというなんとも言えない感情が!
それを見た母が、止めさせようと仲裁に入りました。しかし、親父は逆上し母を突飛ばしました。
母に怪我はなかったものの、遂にぶちギレてしまい荷物をまとめだしました。
ただ事ではないと、子供ながら理解しました。
一番小さい妹を連れて、車で出ていってしまいました。
残ったのは、長男と自分と父親だけ。
そして、こう言われたのです…
お母さんが出ていったのはお前のせいだ!!
ショックでずーっと、泣いていました。初めて自分を責めました。
いつ寝たのかもわかりません。
小学校低学年でこれはなかなかキツイ(笑)
自分が泣かなければ…
自分が、習字をやらなければ…
自分なんか、居なければ…
こんなことには…
小学校で初めて死という文字が頭を埋め尽くしました。
ただ、今みたいに自殺の方法なんか知るすべがありません。
木の仏像を掘るような感覚で戒めで机にひたすら死という文字をなん十個掘ったでしょうか。
多分、携帯とか持ってたら薬物や、リストカット、首吊り、いずれかの選択肢を選んでいたかもしれません。
しかし、ビビりな自分は死ぬことも出来ず、流れに身を任せ生きていてしまいました。
離婚していた頃は記憶がありません。
親父との生活はふわふわとしたよくわからない感覚でした。
母がいない、自分のせいで。
そうやって生きてきてしまいました。
人が怖くなりました。
しかし、そんな日々も3年から4年たった頃。やっと、小6でとてもいい先生に出逢い変わっていきました。土屋先生ありがとう。
精神的攻撃をする女教師。
クラスの端から端まで突き飛ばして、投げて、体罰教師。
離婚して、責められ、体罰をくらい、
唯一楽しみだったのは週に一回母が戻ってきて母方の、おばあちゃんちに泊めさせてもらうことでした。
仏壇があるので夜中、泣きながら
どうか、助けてください
たすけてください…
と、仏壇に手を合わせることしかできませんでした。
ある日、父親の母方が調子悪くなり父親が実家に帰ることになりました。
そして、母が戻ってきてアパートで長男と自分と妹と暮らすことになったのです。
母は、朝から、掛け持ちのバイトで夜の9時に帰ってきて、次の日は朝早くから出掛けて夜の11時頃帰ってくるような生活をしていました。シングルマザーで3人の子供を育てるには睡眠時間3時間で毎日働いていかなければなりませんでした。
本当に感謝しています。
そして、また父と長男の案で実家の駐車場に新築を建てようとなりました。
そこで、再婚して、ローンが組めるようにしました。長男と父。そして祖母とお母さんが連帯保証人で五千万のお金を借りました。
しかし、長男が横浜ゴムを辞めてしまい、怪しいホストクラブへ就職。
父も、仕事が減ってしまい、返済が厳しくなりました。
月に20万近くの生活費が必要な家に住めなくなりました。
そして、、、
破産という切り札を切ってしまったのです。